浪江とあたし、ときどき田村。

浪江に住み始めた主婦のブログ・立ち上げた地域団体「なみとも」の情報も綴ります♪

双葉町の視察とざわつく気持ち(遡ること3か月💦)

とある知人のお誘いで、9月に浪江町のお隣、双葉町に行ってきました。

 

双葉町は現在、帰還困難区域、避難指示解除準備区域と2つの区域に指定され、現在も立ち入りが制限されています。

私の故郷田村市からも国道288号線(通称にーぱっぱ)を30~40分程度かけて来られる、私にとっても思い出深い場所です。

双葉と言ったら海水浴場!子ども会や家族でも行ったし、大人になってからはドライブでも来てました。

 

 

約10年ぶりに、町の方の案内で入る双葉町は、一言では言い表せない空気感。町の時間、人の時間、それらがここだけ違う空間というような感覚です。

 

あの時聞いたお話をここに、詳細に書くには少し勇気がいりましたが、ここに来たこと、見たことを少しでも周りに伝えてもらえれば、というお話があったし、隣町のことを少しでも自分の記録として残しておきたいと思い、書いています。

 

 

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双葉町役場の屋上に登り、あたりを見渡すことができました。

中間貯蔵予定地と、その境目。

状況・場所による“バイショウ”の差。

浪江とは状況が異なります。

 

役場の中に入り、各階を見学しました。

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時計は地震発生直後に止まったのでしょうか。

役場の中を見ながら、鼻につくカビのにおい、ほこりのにおい、建物が使われなくなった雰囲気を、五感で感じ取るのは、結構久しぶりで、

そうだったそうだった。こういう場所がまだ福島にはあるんだ、ということを実感しました。

 

 

 

そんなことを思いながら、階段を上って(降りて?)すぐ目に入ってきたのが、この場所。

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当時の職員の皆さんの必死さが伝わる模造紙。(レプリカだそうです)

この模造紙は、当時混乱の中、東電からの情報をこのボードにひたすら書き込みなんとか状況を把握しようとしていた様子がうかがえるものでした。

驚いたことにこれはレプリカ。紙質から何からすべて忠実に再現されているそうです。

 

そしてあたしが一番びっくりしたのは、自分。

これを見た瞬間に「うおっ」と声を出してしまい、一気に心臓が早くなりました。

そして、涙も、出てきました。

息もしづらくなりました。動悸もします。

 

 

自分でもびっくりです。

 

 

どうしたらよいかわからず、とりあえず場所から離れ、落ち着こうとしましたが、

「ヤバいかも」と思いました。

しばらくこの模造紙を見ることができませんでした。

 

 

自分は当事者のようで当事者ではないし、遠く離れた郡山市で被災したし、当時の記憶もあるけれども、もう大丈夫。と思っていました。

 

 

でも、当時の混乱と、恐怖と、不安は、身体の隅っこにずっと眠っていて、ここにきて一気に出た。ということなんだと思います。(今振り返ってもよくわからない感情)

 

 

 

あぁ、終わってないってことなんだな。

そう思うしかなかったです。

 

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双葉の海水浴場にある「マリンハウスふたば」内部

 

海にも行きました。ここは、あたしも幼少期から何回も通い、社会人になってからもドライブしに来て、星を見たりしてた、安らぎの場所でした。

ここで津波に遭った方の話も聞いたことがあります。

 

ただただ悲しくて。

 

 

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小学校へ。植物が白化

植物って、何も誰もなにもしないと、最後真っ白になるということを初めて知りました。

作り物か?と思うくらい、綺麗なオフホワイト。

無常です。

 

他にも、ミイラのコウモリとか、ミイラの鳥。

写真あるけどちょっと衝撃的なので控えます。

 

一度避難所として使われていたため、水や食料だったものがそのまま残っているところも。

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おにぎり、だったもの。

 

丸一日双葉町を回りました。

ここに載せきれないこともたくさんあります。自分の目で見たから、浪江町との違いもわかったし、ここにはここの課題があり、何を希望と言ったらいいのか、正直わからなくなる瞬間もたくさんありました。

 

客観的に、論理的に、いろいろ書きたかったのですが、ちょっと私の語彙力では難しく・・・泣

 

その日はもちろん自分の居住区である浪江町に帰るわけですが、

そのあと、そして今でも、あの、当時の模造紙が頭の中に残り続けています。

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よくよく考えると、今年に入ってから、あの当時のことや、なぜ今こんな状況になっているのか、考えてもしょうがないことをふと考えてしまう時間が増え、誰にも言えずにいました。

でもとりあえずブログに書いてみようと思って書いています。

 

汚染されたままの、豊かな山々を眺めるとき

114号線、50号線の帰還困難区域を通るとき

1Fを横目に、6号線を通るとき

津波被災から道路が整備された場所を通るとき

解体家屋(解体待ち)を見るとき

 

 

その中で日常生活を送っている、人々と接するとき

 

 

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こないだ、とあるドラマで、主人公の出身地が福島だという設定で、少しだけドラマの中で福島のことが流れたとき、

びっくりして、一度録画を止めました。

 

今までは「ふくしまこれから語りますよ~」っていうような事前にわかってることが多かった(映画にしてもドラマにしてもドキュメンタリーにしても)んだけど、これは本当に突然で、おおおおおおマジか!とびっくりました。

 

気持ちがざわついたとともに、本当に今年は自分の中で当時の様子をざわざわした気持ちで思い出すことが多く、、戸惑ってます。

でも、ネタバレになるのでドラマのセリフは言わないけど、よくぞそういう風に、言葉にしてくれた!ありがとう~。って思いました。

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気持ちがざわつくことをどうにかしようとは思っていないけれど、

8年近くたったからこそ、こういう気持ちになったり、

自分の中でも、全然整理されているようでされてない面があるんだな~と、受け止めることができました。

 

 

双葉の視察の件についてあまり詳しく書けなかったけれども、

自分の知らない内面を見ることができたので、よかったなと思います。